当記事では、日本語文法における「ら抜き言葉」について解説します。
「ら抜き言葉」の意味や歴史、見分け方などを分かりやすくご紹介しますので、ぜひ文章執筆の参考にして下さい。
ら抜き言葉とは
ら抜き言葉とは、動詞に「可能」の意味を持たせる助動詞「られる」から「ら」を抜いて表現した簡易な言い回しのこと。
日本語文法的な解説をすると「上一段活用、下一段活用、カ行変格活用で活用される動詞」は、ら抜き言葉として扱われる可能性があります。
例えば「食べられる」を「食べれる」と表現するのが「ら抜き言葉」です。
そんな「ら抜き言葉」ですが、文化庁の20期国語審議会においては「認知しかねる」とされています。
国語審議会としては,本来の言い方や変化の事実を示し,共通語においては改まった場での「ら抜き言葉」の使用は現時点では認知しかねるとすべきであろう。
出典:文化庁『言葉遣いに関すること』
なおこの見解が発表されたのは、20期の国語審議会が活動していた平成6〜7年(1994-1995年)のこと。さらに言えば、平成13年には国語審議会自体が廃止されています。
現在はその頃よりさらに表現も多様化していますが「ら抜き言葉」を許容すべきか否かは、未だに人によって意見が分かれています。
ら抜き言葉はいつから使われている?
いわゆる「ら抜き言葉」とは可能の意味の「見られる」「来られる」等を「見れる」「来れる」のように言う言い方のことで,話し言葉の世界では昭和初期から現れ,戦後更に増加したものである。
出典:文化庁『言葉遣いに関すること』
上記文化庁の見解にある通り、ら抜き言葉は昭和初期から使われている言葉だとされています。かなり長い歴史を持つ言葉だと言えるでしょう。
ら抜き言葉は何故使われるようになった?
ら抜き言葉が使われるようになった経緯は諸説ありますが、基本的には「それが尊敬表現なのか可能表現なのか分かりにくいから」という説がもっとも自然だと考えられます。
例えば「先輩も来られるそうです」という文があったとして、これだけでは可能表現とも尊敬表現とも判別できません。
しかし「先輩も来れるそうです」あるいは「先輩も来れるとおっしゃっていました」などと「ら抜き言葉」で表現すれば、明確に「可能」の意味を示せるということです。
また可能を示すときに「ら抜き言葉」を使うのが一般的なのであれば「”られる”が使われるときは消去法で尊敬表現だ」と判別しやすくなります。
このような日常生活における利便性の観点から、ら抜き言葉が使われるようになったのです。
例えば過去には誤用とされた「的を得る」が現代では許容されているように、ら抜き言葉も新しい言葉としてだんだん許容されていくのだろうと考えています。
よく使われる「ら抜き言葉」一覧表
ら抜き言葉は、可能の意味を持つ助動詞「られる」が使われる言葉が該当します。
例として、日常的に使われる「ら抜き言葉」を一覧にしました。
ら抜き言葉 | 元の言葉 |
---|---|
食べれる | 食べられる |
見れる | 見られる |
来れる | 来られる |
着れる | 着られる |
寝れる | 寝られる |
起きれる | 起きられる |
決めれる | 決められる |
投げれる | 投げられる |
止めれる | 止められる |
辞めれる | 辞められる |
読んでみていただくとわかるのですが、ら抜き言葉は日常会話で頻出する言葉ばかりです。
例えば睡眠不足のときに「最近、あんまり寝られないんだよね」と表現する人は少数派ではないでしょうか?そこでは「寝れないんだよね」と表現されることがほとんどであり、ら抜き言葉は我々の日常生活に浸透しきった言葉とも言えます。
ちなみに上記一覧に入りそうな「切れる」という言葉は、ら抜き言葉ではありません。次章では、ら抜き言葉の「見分け方」も解説していきます。
ら抜き言葉の見分け方
ら抜き言葉は、上一段活用、下一段活用、カ行変格活用で活用される動詞が該当する可能性があります。
文法的な解説は動詞について解説した記事もご覧いただければと思いますが、細かい文法的な活用を考えなくとも「ら抜き言葉」は見分けられます。
ここでは簡単な見分け方を覚えておいて下さい。
勧誘表現が「〜よう」なら「ら抜き言葉」である
まずは「〜れる」という言葉であることが前提ですが、その言葉を勧誘表現にしたとき「〜よう」と続くならば、それは「ら抜き言葉」です。
例えば「見れる」「決めれる」「辞めれる」は、勧誘表現にすると「見よう」「決めよう」「辞めよう」と続くため、ら抜き言葉だと判別できるということ。
ら抜き言葉を避けたい場合は「〜れる」という言葉を見つけたときに「〜よう」と続けて見分けて下さい。
勧誘表現が「〜ろう」なら「ら抜き言葉」ではない
反面「〜れる」という言葉だったとしても、勧誘表現が「〜ろう」になる言葉は、ら抜き言葉ではありません。
例えば「切れる」という言葉は一見「ら抜き言葉」かのように思えますが、勧誘表現にすると「切ろう」となるため、ら抜き言葉ではないと見分けられます。
助動詞には「れる」という言葉がありますので、そもそも「られる」ではなく「れる」が使われる言葉は、ら抜き言葉ではないのです。
この辺りの文法的な話が気になる方は、下記「助動詞」に関する記事も参考にしてみて下さい。
ら抜き言葉を使うデメリット
今では日常生活に浸透している「ら抜き言葉」ですが、使うにあたりいくつかのデメリットはあります。
便利な言葉ではありますが、この機会に注意点も把握した上で使っていって下さい。
相手を不快にさせる可能性がある
「ら抜き言葉」は人によって許容度の分かれる表現ですので、使う相手によっては「不快だ」と感じさせてしまう可能性があります。
言葉はあくまでコミュニケーションツールであり、相手にスムーズに伝わらなければ意味がありません。
関係性の薄い相手との会話、畏まった場、またビジネスシーンなどでは、避けられるなら避けた方が良いでしょう。
ブランディングとして良くない場合がある
例えば文章を生業にしている人、あるいは国語教諭、塾講師などが「ら抜き言葉」を使うのは、ブランディングとして良くない場合があります。
例えば「ら抜き言葉は使うべきではない」と日々教えている塾に所属しているスタッフが「ら抜き言葉」を使っていると、信頼性も何もあったものではなくなります。
言葉が関わる職業についている人は、自分や会社のブランディングに関わる可能性があると認識しておきましょう。
プロライターの仕事で「ら抜き言葉」は避けるべきか?
最後に、Webメディアのイチ編集者としての立場から「ら抜き言葉」に関する見解をまとめました。
結論として、原稿執筆の仕事で「ら抜き言葉」を避けるか否かは「そのメディアによる」と考えています。
もっと言えば「そのメディアのターゲットユーザーが誰なのか」によって、ら抜き言葉を使うべきか否かが変わってくると捉えておくべきです。
Webコンテンツは「ユーザーファースト」で執筆されるべきであり、そのメディアのユーザーである読者が「ら抜き言葉」に馴染みがあるのであれば、メディアとしても「ら抜き言葉」を使った方が親切に違いありません。
しかしビジネスパーソンを相手に発信しているニュースメディアなどであれば、ら抜き言葉を使うのは不自然ですし、ユーザーである読者もそれを求めていないはずです。
正しい文法の使い方を知っておくことは大切ですが、正しいものだけに固執するのは、かえってコミュニケーションが滞ってしまう原因にもなりかねません。
言葉は、あくまで目的達成のためのコミュニケーションツールです。
ライターとしてプロの仕事をするならば、そのメディアのブランディングを考え、トンマナを守りながら、常に「そのメディアのユーザー」にとって馴染みがある言葉を使っていきましょう。
まとめ
「ら抜き言葉」は、いまだに議論の分かれる表現です。
使うか使わないかの判断は個人の裁量によるところが大きいのですが、どちらでも対応できるようにしておいて損はありません。
ら抜き言葉について理解した上で、良いように使っていきましょう。