「という」は冗長表現?嫌がられる理由と言い換え例を解説

この記事では、よく使われる文章表現「という」や「ということ」について解説します。

Webライティングの現場では、よく「冗長になるから削った方が良い」とされる表現です。では一切使わない方が良いのかというと、それも極論だと感じます。

(上記の文章でも、さっそく「という」を使いましたね。)

個人的に「という」は、文章のリズムを整える上で必要な表現だと考えています。しかし頻出させると稚拙な文章になりやすいため、メディアや編集者によっては「という」を禁止にする理由もわかります。

前後の文脈も考えながら、また伝えたいニュアンスも保持しながら、適切に使えるようになると良いでしょう。

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\ この記事を書いた人 /

たくろー
Webディレクター
ライティングから編集、校正、ディレクション、SEO対策、アクセス解析、撮影、画像編集、Web制作と、なんでもやってるwebディレクターです。
現在はIT企業でインハウスSEO担当兼、メディア運営責任者・編集者として働きながら、札幌でWebライティングの講師として活動。「良いWebライターが増えれば仕事が楽になるなぁ」と思いながら、一人でひっそりと文亭を運営中。著書『Webライターが書いてはいけない文章28選』

「という」は冗長表現?使わない方がいい?

「〜という」「〜ということ」は、ジャンル問わず様々な文章で使われる日本語表現の一つです。

例えば「つまりAだということです」などの文脈で使用されますが「つまりAです」でも通じるケースが多いため、しばしば「冗長表現だ」と言われがちな言葉ですね。

しかし一概にすべてを修正対象にしてしまうと、文章表現の幅を狭めてしまいかねません。そして表現を変えたところで、さほど文字数は変わらないことも多いのです。

よって「という」が嫌われる本質を理解した上で、適切に使用していけるのがベターですね。

もちろん執筆ルールでNGとされているなら避けるべきですが、そうでない場合は、必要な箇所に必要なだけ「という」を用いましょう。

「という」が編集者から嫌われる理由

問題の本質を探るために「という」や「ということ」が嫌われる理由を考えてみました。

冗長表現になりうるのは前提として、それ以外の気になる点を整理していきます。

その後に続きがちな「こと」が具体的じゃない

SEO対策を意識しているWebコンテンツにおいて「こそあど言葉」は嫌われます。

「という」を使う際は「ということ」と続くケースが多いのですが、この「こと」が良い表現ではないと考える編集者が多いのです。

これは経験則になりますが、ライターに対して「”こと”が何を指しているのか具体的にしてください」と修正指示を出すと、無理やり修正されたチグハグな文章で返ってくるケースがあります。

よって「”ということ”は使わないよう、表現を修正してください」と指示を出してしまうのは、編集あるあるかもしれません。

「という」の文脈が口語に近い

「という」を使うと、その文のニュアンスがどうしても口語に近くなってしまいます。

よって「〜というと、」「〜というか、」「〜という場合は、」と文中に頻出してくると、どんどん文章全体に軽さが出てきます。

とはいえ「2回までならOK」など回数で区切るのはナンセンスです。あるいは「文章が軽くならない程度に」とニュアンスで指定するのも難しいため、いっそ表現自体を禁止にしようと考えるメディアが多いのです。

反対に言えば、ルールで縛らなくても良いバランスで文章表現を整えられるライターは、編集から見てかなり貴重な存在だと言えますね。

一つの文中で「という」を2回繰り返してしまうライターがいる

初心者ライターの書く文章あるあるとして「同じ体言を文中に何度も使ってしまう」というものがあります。

例えば「一度起こった”という”なら、2度起こる可能性がある”という”ことです」のように、一度「という」を含む文では「という」を二度重ねて使ってしまいやすいのです。

(「という」がゲシュタルト崩壊しそうですね)

一文で同じ表現を2度使うのは、少々稚拙な印象の文になってしまうことから編集者が忌み嫌う表現の一つです。

この場合も細かく説明するのは面倒ですから「”という”は使わないでください」と指定するケースが多くなるのかもしれません。

「という」の言い換え表現

ここでは「という」の言い換え表現をまとめました。

しかし「という」は、意外と繊細なニュアンスを含む言葉です。ただただ「という」をカットするだけでは、あまり良い文にはならないケースが少なくありません。

表現したい文脈が、その言い換え表現でうまく伝えられるのか考えながら、慎重に修正していきましょう。

カッコ書き後につく「という」の言い換え

カッコ書きで何かを説明したあとに「という」を使うケースはしばしば見られます。

例文

北海道に来て一番に感じたのは「雪が積もっていると、思ったより寒くない」ということです。

上記の文例を言い換える際は、注意が必要です。

例えば下記の文例は、文章としてあまり綺麗ではありません。

あまり綺麗ではない言い換え表現

北海道に来て一番に感じたのは「雪が積もっていると、思ったより寒くない」です。

なんだかカタコトの日本語のようになっていますよね。意味は通じますが、ライターが使う表現としては、あまりふさわしくありません。

そもそも口語に近くなりすぎるのも「という」を避けたい理由の一つですから、さらに稚拙な表現になったら編集側は困ってしまいます。よってこの場合は、文そのものを組み替えて言い換える方法を考えましょう。

言い換え例

北海道に来て一番に「雪が積もっていると、思ったより寒くない」と感じました。

ただ「という」だけを見て修正しようとするのではなく、文全体を見て組み替える作業が必要です。

概要説明の後につく「という」の言い換え

何かしらの概要を説明した後に「という」をつける表現も、しばしば使われます。

例文

しかし全ての「という」を無くす、というのは難しいかもしれません。

上記例文の場合は、シンプルに「という」をとっても良さそうです。

言い換え例

しかし全ての「という」を無くすのは、難しいかもしれません。

あってもなくてもニュアンスがほぼ変わらないため、いわゆる「冗長表現」と言われるものですね。

要約のニュアンスを持つ「という」の言い換え

「つまりAは、Bということだ」などのように、物事をわかりやすく要約するようなシチュエーションでは、よく「という」を使います。

しかし要約の文脈の「という」をそのままカットすると、少々ニュアンスが変わってしまいます。

ニュアンスが変わってしまう言い換え例

「つまり日本は、平和だということです」

「つまり日本は平和です」

上記の場合、前提条件を受けて要約するニュアンスが「です」と言い切ることで消滅してしまいました。

よって下記のように、保持する文脈を考えて言い換えましょう。

文脈を保持した言い換え例

「つまり日本は、平和だということです」

「つまり日本は、平和だと言えます」
「つまり日本は、平和だと考えられます」

しかしこの場合、どうしても表現は固くなってしまいます。伝えたいニュアンスによって、言い換えるのか否か判断しましょう。

※もしメディアの表記ルールで縛られているなら、伝えたい表現よりもルールを優先させてください。

まとめ

「という」や「ということ」を嫌い編集者がいる以上、ライターとして活動するなら積極的に使うべきではないかもしれません。

しかし無理に言い換えようとして文脈が変わってしまうくらいなら、ルールで禁止されていない限りは、適切に使用するのは問題ないと考えています。

すべては「バランス」ですので、上手に使えるようになっていきましょう。

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